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大人の働き方図鑑No.3:大阪の現役小学校教師:ふみちゃん

このはら

このブログは、下記のYOUTUBEラジオを書き起こしたものです。

音声で聞きたい方は、どうぞ!^^

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働くって楽しい! 大人の働き方図鑑 

【No.3】大阪の現役小学校教師:ふみちゃん

 

児:みなさんこんばんは、児之原です!

さっそくですが、お子さんを小学校、中学校と送ってきた方は分かると思うんですけど、小学校の先生っていい人多いですよね。

中学になったとたんに、社会常識が欠落してる人が増えるというか。小学の先生って親身な人が多いですよね。熱い人が多い。

うちの地域でも、小学校は良かったのに、中学校になった途端冷たくなったと感じる子がいます。

自身を振り返ってもそう思います。なんで中学の先生は熱量少ないんだろうって。

それはさておき。今回は、大阪の小学校で先生をしている、ふみちゃんに来て頂きました!

ふみ:よろしくお願いします!

 

【きっかけ~東京期】

ふみ:経済学部だったので、教育方面に行くとは思っていませんでした。大学の途中で夢が教師になりました。

もしかしたら、教師はみんなスゴい勉強できると思われているかもしれないけど、みんながそうではないと思います。私の小•中学校時代、勉強はきらいだったし、解答を白紙で出したりしてたから、教師側からしたら扱いづらい生徒だったかもしれない。

そんな私ですが、昔から英語は好きで、そこには興味があって。

高校も英語科のあるところに通いました。高校入学まででも話したら長いのですが。笑

その高校でオーストラリアに行く機会があって、そこで先進国とかに興味を持ち始めて。大学は経済学部に入って、その授業を受けて、発展途上国という国の実情を知り、発展途上国にいってみたいと思いました。

 

《カンボジアへ》

そして大学三年生の春休みにカンボジアに行って来ました。

行き先をカンボジアにしたのは、ダンスサークルもやっていたけど、勉強面では、発展途上国をテーマにやりたかった。それで発展途上国についてのサークルで入ったところが、カンボジアについての活動をしていたので、行くことになりました。

大学三年生は卒業後の自分のことを考えないといけない時期だけど、何をしたいかもわからないと思っていました。

けれど、教育と子どもには興味があった。でも、勉強が苦手だし好きじゃないのに…とネガティブに考えていたんです。

そう考えていた時期にカンボジアに行きました。

17日間滞在して、そこで、ゴミ山で暮らしてる子どもと一緒にご飯を食べたりして過ごして。

そこで衝撃的だったのは、こどもたちに夢は何?と話を聞くと、

「スチュワーデスさんになりたい」

「学校の先生になりたい」

ゴミ山に住む家族みんなと暮らせる、大きな家を建てたいから

「お金持ちになりたい」。

それを聞いたとき、はっきり言って

「いやいやいや、こんな状況で無理でしょ。」

「なれるわけないじゃん」と思ってしまいました。

だけど、その子たちの話を聞いたり、折り紙を作ったりスライムつくったりして一緒に過ごしていて、その子たちの勉強に対しての意欲、目の輝きをすごく感じたんです。

この子たちはこんなに貧しい環境だけど、ある意味恵まれているのかも知れないとも思いました。

その子たちを前に、私は、やろうと思えば学べる環境が日本にあるのに、自分に言い訳をしている姿が恥ずかしくなりました。

それを経て、小学校の先生になろうと決心しました。

直接はできないかも知れないけど、こういう子どもたちに勉強楽しいなと思ってもらえる教師になりたいと思ったんです。

それがきっかけでした。

 

《日本に戻って》

日本に戻り、教職課程を取ろうとしたけれど、もう大学四年生になるときだったし、今まで1つもとっていなかったので、窓口に相談すると、もうとれないと言われて。

取るなら、卒業してからになると。

でもそこで同じ大学の通信教育を勧めてもらって、そこで取ることにしました。

(教育学部以外の人は、別に教職課程の授業を取らないといけないけれど、もともと教師になる気がなかったのでとっていなかった。)

ふみ:夢をもつとパワーが出るというか。

みんなに言いたいのは、今勉強できなくても大丈夫、まずは自分の好きなことを見つけるのが大切なんだよ。一生懸命やればみえてくるよ。ということ。(わたしも0点だったし)

自分からパワーが出てこないと、始めるのは難しいと思う。

私はカンボジアにいって、そこで初めて自分がやりたいことを見つけました。

そして2年かけて教職課程をとり、3年目に東京で小学校の先生を始めました。

 

《教師になって》

実際に教師になって、子どもたちに夢を聞いてみると、ないと答えて。

そこで、豊かさはモノじゃなくて、環境だな。そう感じました。

日本は環境に恵まれているけど、未来をつくっていく子どもたちの心を見たときに、恵まれているのはどっちかと聞かれたら、カンボジアの子どもたちの方だと思いました。

そして次に芽生えてきたのが、

自分の実体験で、夢を持って自分で叶えられたし、強くなれたから、まだ夢がない子たちにも夢を持たせてあげたいなと思い始めました。

それで、子どもと教育はそのまま続けたいけど、でもやっぱりこの気持ちはだれが叶えてくれるんだろうと。

それは自分しかいないから、3年間でお金を貯めて、教員を辞めて、海外に出よう。

というのがきっかけで、ここでまた自分の中で目標ができました。

東京で教員をはじめて2、3年目くらいに、「先生、こういう夢があって海外に行こうと思ってる」と子どもたちにも話したんです。

(児:やりたいことあるんだよね見たいなことを話してくれる先生ってすごくいいよね。こう言う人が増えてほしい。)

海外にいくたびにその写真を見せたり、夢について話す時間をつくるようにしてました。

(児:でもそうするしかないよね。実際にみせるしかないと思う。どうやって持たせるかとかじゃない。)

その学校で教員をやって2、3年経って、この子たちとならお互いが離れても頑張っていけると私の中で確信して、いまでも当時の東京の子とも今でもコンタクトをとってます。

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【海外期~大阪期】

英語力が高いわけではなかったので、まずロサンゼルスの語学学校に学びに行きました。大変だったけど、周りのひとに支えられて一緒に学びました。ビザの関係でそこには3ヶ月しかいれなかった。

次にカナダでワーホリのビザを取って、働きながら勉強しました。そこで世界一古い日本語学校というものを見つけて、履歴書を出しに行きました。(他にもいくつか出した)

その日本語学校で、タイミングよく1年生の先生に空きがでてしまっていて、ぜひ来てほしいということになった。

学校が土曜日だけだったので、平日は日本食レストランでも働き、掛け持ちして食いつないでました。日本語学校では1年ほど働きました。

英語の勉強もしたいから学校にも通って。

テソル(tesol)という資格を取りたかったので、その勉強をするために、学校にも通いました。

(テソル•tesol とは、英語以外の言語を母国語とする人たちに、英語を教えるための教授法のこと。)

 

当時は、レストラン、テソルの勉強、日本語学校をこなしていたので、日曜日の午前中しか自分の時間がなかった。

カナダのワーホリビザが1年しかなかったのと、日本語学校は資本金が出せない、レストランのほうも自分のやりたい方からずれてしまうので、カナダは1年で切り上げました。

 

《日本に帰国して》

そして日本に帰って来ました。

無事テソルもとれたので子ども英会話スクールの門を叩いて、半年間教えました。

そして日本語学校にいるとき、自分は日本人なのに知らない日本のことが多いなと感じて、リゾートバイトを始めました。

着物の着付けをできるようになりたかったので、旅館の仲居さんに。どうせやるならと思い、場所は箱根で。

箱根の吟遊というところで働いた。ここは3ヶ月半やってました。

英語ができるから外国人の方を当ててもらったり。日本についてたくさん聞いてくれたり、いろんな経験をさせてもらえました。

担当させてもらったあるお客さんがカナダ、バンクーバー出身の老夫婦で、いまでもコンタクトを取ってます。この前も大阪に来てくれたので一緒にお好み焼きを食べてきました。

 

《再び海外へ》

その当時まだ28、29歳くらいだったので、まだオーストラリアのビザがとれるから、いこうと。

そこで仕事を探したけどあんまりピンとくるものがなくて、オーストラリアのしたにある、タスマニア島(北海道と同じくらいの面積)に行きました。

そこでは農業の仕事を。

せっかく大自然に来たからと、大自然と触れ合える仕事をやろうと思ったので。ここは半年くらいやって、そのときにカナダ時代の日本語学校の理事長から連絡が入り、あなたはいつまで海外をふらふらしているのですか。と。

そして、もしよかったら大阪の小学校に教員の枠が余っているから、来ないかと言われたんです。

かなり多くの環境でいろんな経験をしたし、いろんな話をして上げられるかなと、そろそろ良いかなと思ったので、いきます。と返事をしました。

年末に連絡が来て、年始考えて、2月頃にはもうその小学校にいました。それが今働いてる小学校。今は6年生の担任をしてます。

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【Q&A】

 

① 大阪の小学校でも、子どもたちに夢はあるかきいた?

ふみ:聞いてみたけど、いまっぽいユーチューバーとか、まだ決まってないって子もやっぱり多いです。

 

② カンボジアの子と日本の子と、どういうところが違うと感じた?

ふみ:日本はカンボジアと比べて、ものが溢れすぎていて、満たされすぎているがゆえに貧しいみたいな。

カンボジアの子は自分が生きて行くのも必死な中で、自分のやりたいことを考えて。生きて行くために考えているんじゃないかな。人間の欲の部分が違うというか。

カンボジアの子どもたちは生きていくための欲がすごくあるからそれに対してよく考える。でも日本の子どもたちは満たされてるから、今やりたいことをよく考えるというか。生きて行けるし、そんな簡単に死なないから。

児:先のことを考えなくていいってところが影響してるかもしれないね。日本の場合。

 

③ いまの職場のやりがいは?

ふみ:教師を約9年やってきたけど、すぐに結果として、現れることの方が少ないって言うのはすごく感じている。

特に大阪ではそう。よく共に育むと書いて『共育』と言ったりするけど、やっぱりちょっとしたことだけど、現場にいて子どもの凄さを感じることがあるから、そういうときにすごく共に学んでいる感じがする。

 

ふみ:子どもすげぇってなった道徳の授業があって。

自分の命は1つしかないから、大切にしようという感じのことを伝えたかったんです。

ふみ「人の命はひとつだけだよねー」

生徒「先生違いまーす。だってうちのお母さん、いまお腹に赤ちゃんいるもん。」この返事に感動しました。

生徒「ひとりでふたつの命は大変だから、僕がお母さんのお手伝いしてあげてるんだー」小学2年生の子でした。

児:幼い子の方が感性が優れてるよね。

ふみ:でも当たり前のことだよね、あ、そうじゃんってなった。

その瞬間、この仕事スゴいって感じました。

教えてるようで、教えられてるような。ちょっとした日々のことでも。

この話が自分の中での最上級の経験と言うか、やりがいがあるってこういうことなんだなと思いました。

教科書には、一人ひとつの命だと書いてるけど、それは違うねと。子どもは大人を越えて行きますよね。

児:特に発想とかはそうだね。

ふみ:はっとさせられることがあると、やりがいを感じる。もちろんこどもの成長もそうです。

 

児:僕もこういう仕事をしながら思うのは、育てるなんておこがましいなと。子どもは大人が邪魔しなければ勝手に育つ、いろんなことを禁止したり、管理したりしなければ。

大人のよかれを押し付けていくから、こどもが本当はあれやりたいこれやりたいっていうのがあっても、大人がそれを閉じてしまう。言われたことやらなきゃなんだな。みたいな。

邪魔しなければ勝手に育つから、小さい頃の感性をそのまま伸ばしてあげたい。

ふみ:だから、今までの教え子が、今こんなことにむかって頑張ってますって言うのを聞くと嬉しいです。(成績どうこうより、夢を持ってほしくて教師をしているから)

すぐに結果がでないことの方が多いから、信じて待つしかないですけど。

 

児:僕たちの仕事って10年とか20年ぐらいかけてから、ちょっと芽が出るんじゃないかなぐらいのことをやっているからそうだよね。

先生の特権だよね、教え子たちがゆくゆく頑張って行く姿を見させてもらえるのは。

子どもたちの成長速度と比べて大人である自分の成長速度は遅いなって感じてる人もいる。子どもに負けてられないなって。

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今回は、

夢を必ず持てということではないけれど、もったらこんなに素敵で、楽しく頑張れたよって言うのを伝えたいおもいがあってその上でいろいろなことを経験してきたという話を聞かせて頂きました。

児:それでまた三月で今の学校も辞めるんですよね。

ふみ:子どもたちと同時に卒業します。笑

次はまたアメリカ行きます!

 

次回は、児之原がふみちゃんにもっとつっこんで聞いてみたり、学校現場の大変さとかもお話ししてもらおうかなと思います。

児:今後のふみちゃんの動きが楽しみですね。次はアメリカで新しいことを始めるみたいです。そこで経験したことをまた日本の子どもたちに還元してくれる方だと思うので、その辺りも楽しみにしていきたいと思います。では、また!

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